やりたいことがみつからない

先日、

やりたいことが何もないのだという相談を受けました。

 

  

なんとなく世間には、

やりたいことがあることがよいこと。

やりたいことを叶えることが成功。

夢があることはよいこと。

逆に言えば、

やりたいことがみつからないのはよくないこと。

というような風潮があるけれど。

SNSをひらけば、そんな場面ばかりが目に付いたりとかね。

だけどわたしはそうは思わない。

もちろん、

やりたいことがあればやったらいいし、

やりたいことがなくっても、

それが別によくないこととも思わない。

やりたいことがなくても、なんにも問題はないし、それに、もし仮にやりたいことがあったとしても、

それが出来なかったら今度はそれがストレスになるよ。

最近思うけど、やりたいことをやりたいという気持ちは、下手すると究極の「エゴ」なのかも。

それにあまりそのことばかりに捕らわれると、目の前のことを見失うし、心が苦しくなる。

やりたいことがない自分は、価値がないんじゃないだろうか、

なんにもとりえのない自分は価値がないんじゃないだろうか、

とかね。

そんなことありえませんから。

そんなことで存在価値が左右されるはずがない。あるわけがない。

そして、

無理してやりたいことを見つけなきゃ、と焦ってみたり、

そして周りのみんなが、やりたいことをやって生き生きと生きているように見えると、

なんだか孤独感を感じてしまったり、このままでいいんだろうか、と、悶々と悩んでしまったり。

だけどもしかすると、やりたいことをやって生き生きと見えるのは、

もしかすると、「そう見える」だけ、かもしれないです。

わかりませんけど。

ほんとうの心の奥底なんてものは、

当人になってみないとわからないし、

もちろん、やりたいことがやれた時の心の満足感は、否定できません。

わたし自身、散々やりたいことをやってきたし。

だけど、毎回毎回満足感ばかりを得られるとも限らなくて、

やりたいことをやりながらも、なんでこんなことに・・・

ということも当然あるだろうし、いつもいつもいつも、100%満足、というわけでもない。

いいときもれば、

そうでないときももちろんあるわけで、

やっぱりその中で、

人は、同じように、悩み、迷い、何かしらの問題は、抱えているのではないかなと、

わたしは思うのです。

多分生きるってそういうこと。人間ってそういうものなんだと思います。

心の中の孤独感みたいなものを完全に消し去ることは不可能だし、

それに、人生は、善い時もあればもそうでないときもある。

それはもう、当たり前の法則であり、

ずっと勝ち続けることなど、できないのだと思います。

そして、やりたいことが「今」みつからない、というだけで、

この先死ぬまで見つからないという保証などどこにもないし、

そしてまた、もし仮に見つからなかったとしても、

その時その時を精一杯生きていれば、それで十分だとわたしは思う。

 

とにかく「生きる」「生きていく」ということが、最大のテーマだと思うから。

生きることが目的。

それに、その「やりたいこと」は例えば何かの資格を取るとか、何か大きなことを連想しがちだけど、

そんな大きなことじゃなくて、全然よいと思うし。

例えば、普段やったことのないことをやってみるだととか、

一人で喫茶店やカフェに行ってコーヒーを飲んでみる、

とか、一人で映画を見に行ってみる、とか、近所をあてもなく散歩してみる、とか、

コンビニの100円コーヒーとチョコレート持って公園のベンチで本を読んでみるとか、

たまにはお花屋さんに行って例えば500円分だけのお花を買っておうちに飾ってみるとか、

ものすごく丁寧にお米を研いでみる、とかね!

ほんとうにほんとうに、ちっさなちっさなことで、よいのだと思うのです。

そして、それをやってみて、心がどう反応するか。

一人でコーヒーを飲みに行ってみたら、いつも一緒に行ってくれていた相手がどれほど愛おしい存在なのかということを感じるかもしれないし、案外一人が気楽だと感じるかもしれない。

映画も一人で見に行ってみたら、見た映画がもし仮に面白くなかったとしても、一人なら、

誘った相手に気を使うこともないかもしれないし、無理して感想を言い合う必要もない。

終わってさっさと帰りたいのに無理してお茶に付き合う必要も、ないかもしれない。

ふらっと近所を散歩してみたら、意外なところに意外なお店があって、そこで何かの習い事をやっていて、習ってみよう!という気持ちになってそこで新たな出会いがあって、それがやりたいことにつながるかもしれないし、公園のベンチに座って風を感じるだけで心が軽くなるかもれなしい。

お花を買って飾っていたら、夕食の時の家族の会話がいつもよりはずむかもしれない。

そうやって

普段やったことのない小さなこと

「ただやってみる」

 

ということが、実はとても大切なことだと思う。

そしてそこに「期待」をしない、ということも大事。

何かのためにそれをやるのではなくて、

ただやる。やってみる。

何かを期待してやると、またそれが、一つの手段になってしまうし、

そうならなかったら、なんだこんなの、ちっとも面白くない、とか

ほらやっぱりわたしは。

なーんてことになるから。まぁ究極はそれでもいいんだけど、

とにかく、期待せずにただやる。

とにかくそれをただやる。

やってみたらわかるとおもうけど

この

「ただやる」ということの難しさも、もしかすると感じるかも。

やってみてどう感じるかは、ほんとうに未知数なんだけど。

 そしてそれをやってみて

「どう感じたか」

ということが、わたしは何より大切なことだと思っています。

とにかく、

やってみる。

そして、

感じてみる。

それで、

嫌だなと思えばやめたらいいし、

気持ちがいいなと思えばやればいいし。

そしてそれがもし仮に、

とにかく寝たい!

なんてことでもよいと思う。

 

そう思うと、

身の回りには、いくらでもやれることはあるし、楽しめることは山ほどある。

とにかく、

日々のルーティンだけだと、

せっかく備わっている「感覚」というものは閉じてしまうし、

だから、

そんな風に、小さなことでいいから

体験して体感してそして感じてみて欲しいなと、

わたしは思います。

あ。

ちなみに、

なんにもなたくなければ、

なんにもしたくない、を、やる。

なんにもしたくないのに、わざわざ何かをやる必要もない。

なんにもしなくていいのです。

 

それでいいじゃん。

 

もし、大金叩いて、何かをやらなきゃ、

という焦りの気持ちから無理して何かの資格をとったとしたら、

今度はそれを

「生かさなきゃ!」

「もったいない!」

てなるよ。

まぁそれが悪いわけではないけど、

なんかそれってちょっと違う。

それは苦しいだけだし、そんな気持ちだと

きっとどこまでいっても終わりがない。

とはいえ、もし仮に、そうなったとしても、

そこにはちゃんと経験も知識も残るから、

それもまた無駄ではないんだけど。

 

 

大丈夫。

一人でコーヒー飲みに行ったくらいのことじゃ、死なないよ。

 

なんてね。

 

日々の小さなことを拾って自分なりに楽しめたら、もうそれで充分だと思うけどな。

 

やりたいことは

あってもいいしなくてもいい。

なんでもいいしどちらでもいいよ。

とにかく

なんだっていい。

 

 

お願いだからそんなことで自分を責めたり悩んだりしないでね。

たぶんそこが何より大事。

そこが一番伝えたいところ。