持たない暮らし

テレビはほとんど見ない。

正確には、見なくなった。

やってることが嘘にしかみえないし

耳障りでちっとも面白くない。

まぁ見るとしても、NHKか、教育テレビか。

そのくらい。

それに、最近は見逃したテレビはネットさえあれば

いつでも視聴可能だから

見たいと思ったときに必要だと思うものだけを見ればいいだけのこと。

家の中につけないテレビがずっとあっても仕方がないから

先日実家に持って帰っってもらった。

スッキリした。

テレビのない家で暮らすのは、

これが初めてかもしれない。

 

 

わたしはもう長いこと炊飯器も使っていないし

掃除機もポットも使わない。

掃除は箒と塵取りと雑巾とはたきがすきだし、

正直それで充分。

今は電子レンジもないし、そういえばアイロンもない。

それに家の中には時計も置きたくないし、カレンダーもはりたくない。だからはらない。

さらには車もなければ自転車もないし、

ないものをあげたらキリがないくらい。なんにもない。

「ふつうならもっているもの」を

ほとんど持っていないかもしれない。

一番必要とされていて

みんなが大好きな「お金」さえも

ほんとうにない。

びっくりするくらい、ない。よく生きてるなと時々おもう。だからこそ、感謝しかないのだけど。

もしかするとわたしより持っているひとより、いい暮らしをしているかもしれない、とも、時々思う。

まぁその「いい暮らし」というのが、何を基準にするかというのはまた微妙なところではあるけれど、

たぶんまわりのみんなは、明らかにわたしより持ってるはずなのに、それなのにわたしは、

幸せそうにしている人をあまり見たことがない。

きっとみんな、それが無くなることが不安だったり、それを守らなきゃいけないことに、必死なんじゃないかな。

なくてもいいものを持ちすぎているような気もするし、

ありすぎて何が必要なのかも、わからなくなっているような気もするし、

「持っていること」に固執しすぎなのかもしれないし。

なんかそんなことを感じる。だから持ってない人を馬鹿にしたりね。

いまあるもので十分だし、

それに、必要なものは必要な時にベストなタイミングでちゃんと与えられるから。

だから大丈夫なのに。

ただ、これをあまりオープンに言うと、変な目で見られたりしちゃいそうだから、あんまり言わないんだけど。

わたしにはほんとうになんにもない。というより、必要のないものは持たなくていい、という感じ。

それは昔からそうだったかというと、そんなことはなくて、いろいろな経験を重ねるうちに、

ただ単に必要ないから、というところに到達した。

 

もたないと気楽。

人間関係も、何もかも、持ちすぎるからややこしくなる。

重荷になるよ。

まさに字の通り。

重い荷。

 

ほんとうに大切なものなんてそんなにないし

それに

人一人がほんとうに大切にできるものなんて

そんなにたくさんないし、

たくさん持てないよ。

だいたい手は二つしかないんだから。

両手に持ったんじゃ、両方埋まってしまって、次に何かを得るときは、何かを掴もうとするときは、

その両方の手に持ったものを手放さないと、持てないじゃん。

きっと欲張りすぎなんだよ。

そりゃあ欲はないとダメだしあって当然だけど

ひとりで使いきれないものをひとりで抱えてもしょうがないよ。

それよりも、少ないものを自分の大切な人とシェアしたり、

少ない中でどうすれば豊かでいられるかを考える方が

わたしはよっぽど楽しい。

 

とかいいながら、

また少ししたら

 

ガツガツガツガツ。

欲しい( ゚д゚)ホスィ( ゚д゚)ホスィ

ほっしーい。

わたしのわたしのわたしの

惜しい惜しい惜しい

って

なってるかもしれないけどね

人間なんてそんなものだし

いまこうして書いているからって

それを絶対に貫かなきゃいけないわけでもないからさ。

それくらい流動的。

そして、

自分が心地よい状態でいる

ということが

なにより重要

 

わたしにとっては

持たないということが

今心地いいこと

 

人間関係も情報も、

とにかく

たくさんはいらない